群馬よもやま話|前橋・高崎など群馬を自慢するwebサイト

バックナンバー検索
  • カテゴリー
  • 場所
  • 季節
  • ライター
  • 記事種類

検索条件リセット

閉じる

■高崎経済大学地域政策学部連携企画~群馬の特徴を人に伝えるprj. □「群馬の音楽」 市民の誇り ~作り上げた群馬の文化~□

音楽のある街、高崎。

群馬県は群馬交響楽団をはじめとする著名な音楽家を多く輩出しており、音楽が身近にある。
中でも高崎市は「音楽のある街」と言われ数多くのイベントが行われている。

実際に高崎に住んでみて分かったが立派な音楽センターがあり、群馬県の人なら誰でも知っている大きな音楽イベントがあり、自分でも気づかないうちに音楽が身近にあった。
私の地元では大規模な音楽イベントは全くなかった。市が力を入れてイベントを行い、そこに多くの市民が集まるということは「音楽」という文化が群馬に根付いている証である気がする。

ではなぜ高崎が音楽のまちといわれるようになったのか。
それは群馬交響楽団の創立と群馬音楽センターの建設が大きく影響している。

終戦の年、高崎市出身の実業家である井上房一郎が、「物がなくても人々の心に灯りをつけられる運動であり世界の言葉である」として音楽に着目し、戦後の人々の傷ついた心を癒し生活に潤いのある文化形成を目的とし、文化を通した復興を目指した。そこで戦時中に活躍していた音楽家や疎開していた音楽家などを集めて高崎市民オーケストラとして設立したのが始まり。

1955年には群馬交響楽団をモデルにした映画「ここに泉あり」が公開された。終戦直後の衣食住にも困る時代に地方都市でオーケストラを立ち上げたことが、全国的に注目を集め、これを機に文部省により全国初の「音楽モデル県」に指定される。

群馬交響楽団が注目を集めたことにより、徐々に高崎に音楽センターを作ろうという機運が高まり行政・市民が一体となった建設運動が展開された。

群馬音楽センターの建設にも井上房一郎が尽力している。戦前より親交のあったアントニン・レーモンドに設計を依頼した。
依頼した設計の内容は、音楽を良質に聞くことができるホールである、演劇なども上演できる、低予算で作るという厳しい条件だった。

市の財政は苦しく十分な予算が取れないことから、市民から寄付を募ることになった。そして2年間にわたり集められた募金によって、総工費約3億5千万円のうち1億円程がまかなわれた。
井上房一郎自身も1億円程を負担している。
そして1番驚いたのは当時のお金の価値は、現在の価値に換算すると約5倍であるということだ。つまり市民から集まった1億円と井上房一郎が負担した1億円は、現在の価値にして「約5億円」である。
井上自身、個人で5億円費やしているということになり、音楽センター建設にかける思いが伝わってくる。
また当時の高崎市の人口は93000人である。計算すると1人当たり現在の5000円を寄付していることになり、かなり大きな負担になっていたはずだ。
正直今の私では5000円とはいえ公共施設の建設に寄付しようとは思わないかもしれない。
当時の人々は余裕がない中でも寄付をし、建設に力を注いでいた。音楽センターへの期待の大きさや情熱が伝わってくるようである。
音楽センター前にある「ときの市民之を建つ」と書かれた碑からも、文化への思いが強い市民性を感じる。
このように当時の人々の強い思いと協力を得て、地方都市最初の音楽専用ホール「群馬音楽センター」ができた。

普段誰もが何気なく目にしている音楽センターだが人々のかける思いや誇りが詰まっている。
「群馬の音楽」はこうして市民が作り上げた文化である。

■高崎経済大学地域政策学部伊藤ゼミ連携企画投稿~群馬の特徴を人に伝える。PRJ.■
ライター:高崎経済大学 地域政策学部 伊藤ゼミ 稲垣彩花

■群馬音楽センター
住所/群馬県高崎市高松町28-2
TEL/027-322-4527  FAX/027-322-4987
Email/center@takasak-bs.jp
HP/ http://www.takasaki-bs.jp/center/
2015年02月27日 | ライター:tcue | 場所:高崎 | カテゴリー:歴史・文化  

最新バックナンバー

その他のバックナンバーを見る


ページトップへ
フリーワード検索