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お囃子、笛の音、花火の彩 祭りの歴史を知る ~ 高崎祭り ~

夏の風物詩と言ったら何を思い浮かべるだろうか?
かき氷、風鈴、ひまわりなど色々あるが筆者が思い浮かんだのは「祭り」だ。

露店が並び、神輿や山車が練り歩き街に人が集まる。
少ないお小遣いを握りしめ、かき氷を買ったのが記憶の奥から蘇る。

今回ご紹介するのは、群馬県最大級の祭り「高崎まつり」

しかし、ただのお祭りの紹介では群馬よもやま話っぽくないので
今回は高崎まつりの歴史を探ってみた。
歴史を知る人として、
高崎史志の会の理事 堤克政さん
高崎青年会議所58代理事長を務めた大澤博史さんにお話を伺う。

高崎まつりの起源は、現在の高崎公園の南にある頼政神社の例大祭がはじまり。
1718年、高崎城主・大内内輝貞公が祖先として祀るために創建した神社だ。

当時は、飾屋台(山車の前進)やのぼり、吹き流しなど三百人にも及ぶ行列を連ねて
御沿いを練り歩いていたとか。家老や城代などの上席武士には特別な席が用意され、
見物の衆が近郷から訪れ雑多をなしていたらしい。

頼政神社の祭典は、武士と町人が一体となった形だったが、
明治になり武家政治が終わったあとも、町全体の祭りとして華やかなものだったという。
しかし、時代の変化から市民の間における頼政神社の存在が変わり、
山車の引き回しを主とする行事は1月14日の道祖神祭に行われるようになっていった。
昭和に入り戦時下には、道祖神祭りは中止され以降すっかりとやらなくなってしまったという。

保有台数日本一と言われる高崎の山車も、皇室の祝典や記念行事などの不定期に使用。
電線や交通事情など社会的な要因もあり、山車を運行できる場所も限られ、
戦前のように好き放題引き回す事ができなくなったとか。

それからしばらくの月日が経ち、昭和50年に高崎ふるさと祭りとして夏イベントとして復活。
第11回目で高崎まつりになり現在に続く。

街を歩きながら、お二人に高崎の歴史や祭りの過去からの変化など教えていただく。
文字数の都合上ここに伺った事をすべて紹介できないのが残念であるが
現在の高崎まつりの形になるまでに、様々な変化があった事がわかった。

 

今は市民の祭典として 「市民の誰もが参加でき、参加した人々が連帯感を持てる」がコンセプト。

その為様々なユニークな企画もさまざま。
「創作ダルマ神輿」もその一つだ。

これは「地元町内に山車が無い」、「神輿の会にも所属していない」等、
参加したくても出来ずにいる人でも、自分達でオリジナルの神輿を作って参加する企画だ。

町以外にもつながりの軸が多様化している中で、様々な団体が参加しオリジナルだるまを競っている。

また夜には烏川和田橋上流から15000発の花火が打ち上げられる。
色とりどりの「華」が夜空を彩り
様々な人の心に夏の思い出を焼き付けてくれる。

市民の祭典の為、毎年1000人を超えるボランティアに支えられているのも特徴的だろう。

群馬の夏の風物詩 高崎祭り。
次回は記念すべき40回目。

是非夏の思い出に来年遊びに来てください。

 

 

 

 

高崎祭り
2013年08月09日 | ライター:篠原 輝充 | 場所:高崎 | カテゴリー:イベント・祭 歴史・文化 

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