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焼きまんじゅうを深く考えたことがありますか? 知れば知るほど面白い! ~原嶋屋総本家にて~

焼きまんじゅう。
群馬県民で知らない人はいない、群馬を代表する食文化の一つ。

ですが、子供の頃から当たり前のように触れていただけに、
どういう経緯で根付いた食文化なのか、知らない方も多いのではないでしょうか。

私も、ものごころ付く前から食べており、その存在を当たり前のように受け入れていた一人です。
しかし、今回の取材を通して、江戸時代に上州の地で起こった食のイノベーションと
普及に至ったプロセスを垣間見ることとなったのでした。

 

今回、お邪魔したのは前橋市平和町に店を構える焼きまんじゅうの老舗、原嶋屋総本家。
創業は安政4年(1857年)と、まさに幕末の動乱期。
お店の始まった経緯を五代目当主の原嶋 雄蔵さんに伺いました。

「うちの初代は、前橋の東のほう、いまの上武国道近くの農家の名主職の家の子だったんですね。
その初代が、竹串にさといもを刺した「いも串」が売られているのを見て、
上州名産の「小麦粉」を使った何かを、串に刺した食べ物を作りたいと思い立ち、
自家醸造していた「どぶろく」を発酵ダネにした「すまんじゅう」を作りました。
家には豊富に「味噌」があったため、それをすまんじゅうの表面に塗って焼いたら、
いい香りで、人が集まってくるだろうということですね。」

そんな経緯で、焼きまんじゅうの商品開発が行われていたのだとは!
手近な材料を使っても、工夫次第で昨日まで無かった新たな概念が誕生すること。
まさにイノベーション。とても勉強になります。

「ただ、うちの初代は農家です。士農工商が固まっている江戸時代。
せっかく考案した焼きまんじゅうを、店を構えて売るわけにはいきません。
そこで、群馬・埼玉あたりの祭りや縁日に、屋台として出店し、売り歩き始めたんです。
味噌の焼けたいい香りは、想像通り、多くの人を引き付け、各地で評判になったようですよ。」

県内各地に焼きまんじゅうという概念が普及したきっかけは、この行商スタイルだったんですね!
それにしても、なんというバイタリティ。凄い初代です。

「ちなみに、当時の焼きまんじゅうは、ひとつひとつのまんじゅうが今よりももっと大きかったんです。
しかも串に刺さっていた数も今は4つですが、当時は6つ。豪快な食べ物ですよね。
また、味も今と違って、甘くなかったんですよ。
当時は砂糖が手に入りづらい時代ですから、純粋に味噌を塗った味だったようですよ。
名前も焼きまんじゅうではなく、「味噌付けまんじゅう」だったんです。
今でも年配の方は、味噌付けまんじゅうくださいとおっしゃりますね。」

えーっ!色々な意味で、かなりの変化感ですね!
初代から現在の五代目に至るまでの歴史の流れの中で、変化したものもたくさんあったんですね。
特に甘くなかったことは衝撃だったのですが、味が変わったきっかけはどんなことがあったのですか?

「明治になって士農工商が終わったので、正式に店を構えられるようになり、
前橋の街の真ん中、立川町通りに店を構えたら客足が減ってしまったんですね。
そこで、輸入の黒蜜を味噌だれに混ぜた甘い商品を開発し、既存の味噌だけのものと両方売ったところ、
多少値段が高かったにも関わらず、甘いほうが圧倒的に売れたんですね。
そこから甘いほうだけでやっていくようになりました。
製糸場の女工さんたちのスイーツという位置づけで喜んでいただける時代背景があったり、
農家の休憩のお茶請けとして、ほどよいボリュームがあったのもあり、
食文化の一つとして、しっかりと定着したようです。
店の場所も明治24年から現在の場所に移り、ずっと営業しています。」

大変勉強になります!それにしても面白いですね!
ちなみに、五代目のご自身のお話もお聞きしたいのですが。

「前三百貨店(前橋テルサの場所にかつて存在していた前橋初の本格百貨店)の屋上に、
うちの店を出していたんですが、子供の頃は家の手伝いが楽しくて、
小学生の頃には、もうそこで焼いてましたよ。
ただ、中学あたりからは家業を手伝うことは、ほとんどありませんでした。
代々続く家業の長男として生まれた葛藤もありましたね。
その後、悩んで考えて、東京の大学を卒業した頃に、家業を継承することを決めました。
ただ、前橋に帰って一緒にやるのではなく、
日本全国のデパートの物産展やお祭りなどをまわることになったんです。
今までも、たくさん出店のお話はいただいていたものの、
人手が出せないという理由でお断りしていたのですが、
父がそれらのお話を全て受け、私が全国をまわることなりました。
数日間、店を開いて、また次の場所へ。今日は大阪、明日は横浜という世界です。
店を開けている最中に、次に行く場所のアルバイトを手配するなどの出店を準備する毎日で、
そんな日々が3年間続きました。」

3年間も、全国行脚の修行の日々を送られていたのですね!
大学を出て、すぐにやる仕事としては、かなり責任の重いお仕事をされていたのですね!
初代の行商にも通じるものを感じます!

「全国各地で率直な生の声をたくさんいただけましたし、
売れたり、売れなかったり、いい経験をさせてもらいましたね。
その後、実家に戻って、麹を使ったまんじゅうの仕込みなど、
一子相伝の技術を受けて、今に至っています。」

いやー!凄いです!こんな経験をされている方は、
なかなかいらっしゃらないのではないでしょうか。
そんな様々な経験を通して、五代目の仕事に対する原動力となっているものは、一体なんでしょうか?

「焼きまんじゅうは「郷愁」の味です。食べることで人生のシーンが思い出される食べ物です。
お客様の心の原風景とセットとなる、代えがたいものです。
ですから、継いで行きたいのです。当然のものとして存在し続けられるように。無くならないように。
その使命感が原動力ですかね。」

私も、焼きまんじゅうを食べると思い出します。色々なシーンを。
幼いころのシーンも。現在の自分の子供や、甥っこ、姪っ子とのシーンも。
皆さんもきっと思い出すシーンがあるのではないでしょうか。

 

六代目もお店を手伝い、次世代への継承も始まりました。
末永く、続いていくことを願っています。

ごちそうさまでした。おいしかったです。

■原嶋屋総本家
住所/前橋市平和町2-5-20
TEL/027-231-2439
営業時間/10:30~17:00(売切れ次第終了)
定休日/火曜日(火曜日が祝日の場合は営業。翌日の水曜日が休み)
2013年05月31日 | ライター:小野里 彰展 | 場所:前橋 | カテゴリー:歴史・文化  

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