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『続・音楽のある街 高崎』 市民の想いで創り上げた群馬音楽センター

群馬よもやま話の取材を初めてもうすぐ1年。
県内たくさんのエリアにお邪魔させて頂いたが、
中でも高崎の街で取材をしていると「アントニン・レーモンド」という建築家の名前を度々耳にする。
今回の取材先である、建設費の一部が市民からの寄付金によるという「群馬音楽センター」
ここでも群馬の歴史のなか、ひとつの時代を生きた、レーモンドに再会する。

独特のデザインが印象的な外観は、折板構造(不整形折面架構造)によるもので
扇形でこれだけの大きさのものは世界的にも皆無だそうだ。
また打放しコンクリートなので、すべてが反射面になり音響的に厳しくなってしまうため
合板や吸音板、反射板を作り残響を考えたりと工夫も尽きない。

遊び心のあるデザインの階段から、開放的で心地よいスペースの2Fバルコニーへ続き
壁一面に描かれたホワイエのフレスコ壁画「リズム」は
レーモンド夫妻によるデザインで世界最大級の貴重なものだとか。
また敷地内の庭には楽器を模したオブジェがところどころに飾ってあり、
特にバイオリンの形をした電話ボックスがなんとも可愛い。

ちなみに客席は、”1960の固定席と1つの舞台”ということで、創設の1961年を記念する意味がある。
(現在は客席のスペース拡大や車いす席の設置など、1,932席になっている)

そんな群馬音楽センターが出来たのは、今から52年前のこと。
1945年(昭和20年)敗戦後まもなくの、その日の食べ物を考えることで精一杯だった時代。
当時宮元町にあった高崎市役所の議事堂に音楽好きが集まり、
「これからの日本はひとりひとりの質を高め、
 世界のどこへ行っても一個の人間として歓迎され尊敬されるようにならなくてはならない」
そんな井上房一郎の言葉に触発され、文化国家にふさわしいオーケストラを創ろうと発足したのが
「高崎市民オーケストラ」(後の群馬交響楽団)

もともとは萩原朔太郎が創設した「上毛マンドリンクラブ」という団体のメンバーが主となり
「高崎音楽協会」を結成し、指揮者を迎え楽器を持ち寄り、総勢16名でスタートしたそうだ。
当時は、前橋の臨江閣や群馬会館で演奏したり、移動音楽教室を開催していたらしい。

それから11年後(1956年 昭和31年)に、文部省から「音楽モデル県」に指定されたことで
”ひとつの県が交響楽団と音楽ホールを持った場合、学校や社会の両教育面を通じ、
 県の音楽普及と文化の向上にどれだけ影響を与えるかを実験する”
多くの補助金がつくこともあり、これを期に音楽ホール建設へ動き出していく。

当時の高崎は人口10数万人、市の年間予算は8億円、音楽センターの総工費は2億円。
うち5,000万を市民からの募金でと計画し建設促進委員会を結成。
「月にピース1箱分、50円を節約すれば2年間で目標額になる」と市民への寄付を募っていった。
群馬交響楽団の団員によるコンサートや詩の朗読会など募金活動に協力する者も徐々に増え
最終的には市民からの募金額が約3,500万、総工費3億3,500万、
1959年(昭和34年)に着工し、その2年後に完成となる。

市民からの寄付と想いが込められた「群馬音楽センター」
いつまでもずっと残していきたい大切な場所のひとつだと思うのだが
現在は老朽化の問題もあり、改築・移転(新ホール設立)について検討されているという。
「舞台設備など旧式な部分も多いが、これからもたくさんの市民の方に使ってもらいたい」
「若い世代の人たちにもセンターのこのような歴史を知ってもらいたい」とセンターのみなさんは語る。
古き良き味わいや思い出を安全に上手に保持していくことはできないのだろうか、と願ってやまない。
群馬にはそう思えるモノやヒトがたくさんあるように思うのだ。

群馬よもやま話とは。
点と点が線になるように、群馬よもやま話で繋がる出会いもまた面白い。
それぞれの取材先で出会った人や物語が、重なったり繋がったりしてくる。
これからもそんな出会いを増やしながら、取材を続けていきたいと思うのだ。

■群馬音楽センター
住所/高崎市高松町28-2
TEL/027-322-4527(受付時間/8:30~17:15)
休館日/月曜日(祝日の場合は開館、翌平日に休館)、年末年始
URL/ http://www.takasaki-bs.jp/center/
2013年05月10日 | ライター:るー | 場所:高崎 | カテゴリー:歴史・文化  

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